東京高等裁判所 昭和38年(ネ)819号 判決 1966年12月26日
控訴人 池上運送株式会社
右代表者代表取締役 白石雄太郎
右訴訟代理人弁護士 黒田代吉
被控訴人 金崎正男
右訴訟代理人弁護士 黒沢子之松
同 伊豆鉄次郎
右訴訟復代理人弁護士 佐藤吉将
主文
一、原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
二、被控訴人の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
≪中略≫
被控訴人訴訟代理人が附加した陳述
一、本件事故発生当時における事故現場の第二京浜国道には、当時施行の道路交通取締法施行令に基づく東京都公安委員会告示により、中心線から道路端に向って順次A帯、B帯、C帯(通称としてA帯は高速路、B帯は低速路、C帯は緩行路と呼ばれ、本件では以上の通称による。)の三つの車馬通行区分帯が設けられ、特別の事情のある場合を除いて、高速路は高速自動車が、低速路はその他の自動車が、緩行路は軽自動車、原動機付自転車、緩行車馬がそれぞれ通行すべきものとされており、右通行区分に違反したときは右道路交通取締法による罰則の適用があることとなっていた。そして本件事故現場一帯では、低速路と緩行路との間にグリーンベルトが設けられており、本件衝突現場は、右国道に交差して左右に走る道路があったため、右グリーンベルトの切れ目にあたる箇所であった。
以上の次第で、本件衝突事故直前に緩行路を進行する小型乗用車があったにせよ、低速路を進行していた伊藤文吾としては、緩行路は乗用自動車の通行すべき路面ではないということから、右小型自動車はやがては低速路に移行するであろうと予想できたはずである。とくに本件事故現場は、上記のようにグリーンベルトの切れ目にあたっていたのであるから、緩行路の乗用車がこの切れ目から低速路に移行することのあることは十分予想できたはずである。
二、本件事故発生の直前においては、低速路を進行する伊藤運転の貸物自動車の左側やや前方の緩行路には小型乗用車が、右側高速路上、伊藤運転の右貨物自動車のやや後方には、佐藤義治運転の小型乗用車が、いずれも同一方向に進行しており、伊藤は、これらの小型乗用車に気付いていたが、格別注意を払うことなく漫然進行して本件事故現場にさしかかったものである。ところが、伊藤は、緩行路を進行中の右乗用車が低速路に移行すべく、右にハンドルを切って前記グリーンベルトの切れ目から伊藤運転の自動車の前方に進入してきたので、これにろうばいして、右自動車との接触の回避のみを念頭におき、右側高速路をやや後方から進行してきた佐藤運転の乗用車(これが高速路を並行して進行していた旨の従前の主張は改める。)との接触を考慮することなく、急にハンドルを右に切って高速路に入ったのである。このため、伊藤運転の自動車と緩行路から低速路に移行してきた前記乗用車との接触はさけられたが、右佐藤運転の乗用車は、伊藤運転の自動車と接触して、中央ラインをこえて反対側の高速路に押出され、折柄反対方向から進行してきた被控訴人運転の乗用車に激突するに至ったものであって、この事故は、伊藤の過失に基因するものであり、不可抗力によるものではない。なお、本件事件について伊藤が無罪判決を受け、これが確定したことは知らない。
控訴人訴訟代理人の附加した陳述
一、本件事故発生当時、事故現場の第二京浜国道に、被控訴人主張の東京都公安委員会告示により、被控訴人主張のとおりの車馬通行区分帯が設けられ、その主張の各車馬が通行するについての区分が定められていたこと、右通行区分の違反については罰則の適用があったこと、および本件事故現場一帯には低速路と緩行路との間にグリーンベルトがあったことはいずれも認める。しかし、右グリーンベルトは、長さ約十メートルのものが、約五メートルずつの切れ目をおいて設けられていたものである。
二、伊藤文吾は、事故現場の約百メートル手前で自己運転の貨物自動車の左側やや前方に緩行路を進行する小型乗用車(右乗用車が右貨物自動車と並行して進行していた旨の従前の主張は改める。)を認め、注意を怠らなかったが、この乗用車は、右に進路をかえて低速路に進入するか、または左折して国道をはずれるか、その動向は全く不明であり、緩行路進行の乗用車なるが故に当然に低速路に移行するものとは予想されなかった(現にこの乗用車は低速路に入ったのち、やがて左折して国道をはずれていったのである。)。第二京浜国道のような交通のはげしい道路で、このような動向不明の車輛の進行にたえず注意を持続し、危険防止のため減速徐行運転をするなどということは、国道の交通麻痺をひきおこし、到底許されるところではない。
三、第二京浜国道のような車馬通行区分帯の設けられた路上で、緩行路から低速路に進路をかえようとする車輛は、右折方向を表示したうえ、低速路の諸車の通過をまち、安全を確めた後に右折すべきであるのに、本件では、緩行路進行の乗用車が何の合図もなく、突如として右折し、グリーンベルトの端に車輪をかけながら、直角に近い角度で低速路に不法に割込み、伊藤運転の車輌の二、三メートル前方に出たうえ、左折して低速路を進行していった。この右折から左折までの間は、右乗用車が進行停止にもひとしい状況にあったから、左折進行に移った直後の減速をも考慮にいれると、伊藤がもし自己運転の車輌のハンドルを右に切らなければ、急停車の措置だけでは、右乗用車との衝突はさけられなかったのであって、この場合、伊藤がブレーキをふみつつ、ハンドルを操作して衝突を回避した措置は、妥当なものであった。
四、伊藤は、事故現場の約百メートル手前で、右小型乗用車に五、六名の同乗者のあることを認めていたから、もしこれに衝突すれば数人の死傷を招ねくであろうことも意識していたのであって、伊藤が目前に生ずべき犠牲を回避すべくハンドルを操作したことは、人間の本能に基づく自然の措置というべきである。したがって、自動車運転者に要請される高度の注意義務という名のもとに、それ以上のことを伊藤に求めることは、人間性の本来の姿にもとり、人間の能力の限界を無視することとなる。要するに、本件事故は第三者による飛びこみ、体あたりにも比すべき前記小型乗用車の運転者の故意または過失ある行為に基因するもので、伊藤の過失によるものではない。なお、伊藤は本件事故についての刑事事件で無罪判決を受け、この判決は確定した。
理由
控訴人の被用者である伊藤文吾が昭和三十五年九月二十七日控訴人所有の普通貨物自動車を運転して東京都大田区方面から五反田方面に向って第二京浜国道を進行し、同日午前九時三十分ころ東京都大田区池上徳持町七十六番地先の本件事故現場にさしかかったこと、当時、本件事故現場附近の第二京浜国道には、道路交通取締法施行令に基づく東京都公安委員会告示により、被控訴人主張のとおりの車馬通行区分帯が設けられ、その主張の各車馬が通行するについての区分が定められていたこと、伊藤は右国道の低速路を進行して本件事故現場にさしかかった際、急にハンドルを右に切ったので、伊藤運転の貨物自動車の右側が同車よりやや後方から高速路を進行してきた佐藤義治運転の小型乗用車の左側に接触し、そのため佐藤運転の乗用車はハンドルの操作の自由を失って右国道の中央ラインをこえて反対側の高速路に入り、折柄反対方向から進行してきた被控訴人の所有運転する小型乗用車に衝突し、その結果、被控訴人が傷害を受け、被控訴人運転の右乗用車が破損したこと、以上はいずれも当事者間に争いがない。
ところで、自動車運転者が本件のような道路を進行中左右にハンドルを切るに際しては、左右に併進または後続する車輌の動向を注視し、これらの車輌との接触を未然に防止するため十分の注意を払う義務があるのであって、このような義務を怠り、みだりにハンドルを切って事故を生じさせたときは、故意または過失による責めを免れないものであるところ、控訴人は、伊藤が本件事故現場でハンドルを右に切ったのは、本件国道の緩行路から急に伊藤運転の自動車の前面に移行してきた他車との接触をさけるため、やむなくとった措置であり、伊藤に過失はないと主張するから、以下この点について検討する。
≪証拠省略≫をあわせ考えると、次の事実を認定することができる。
本件事故現場附近の前記国道には、緩行路と低速路との境にグリーンベルトが設けられていたが(この点当事者間に争いがない。)、これは一本の連続した帯状のものではなく、随所に自動車の通行が可能な程度の巾員をもった切れ目があり、本件事故現場では、国道から東西に通じる巾約六、七メートルの道路が交差していたため、西側(五反田方面に向って左側)の道路に通じる箇所は、十六・五メートルにわたってグリーンベルトが切れていた。本件事故現場の百メートルないし百五十メートル手前には信号機のある交差点があって、伊藤は、同所を北に向って発進した際、自車の左側に一時停止していた五名ほどの同乗者のある小型乗用車(兵庫五す六五一〇号)も同時に発進して緩行路上を進行するのを認めた。伊藤運転の貨物自動車は、右小型自動車のやや後方の低速路を約三十五キロの時速で同一方向に向って進行していたところ右小型乗用車は本件事故現場の前記グリーンベルトの切れ目をなかばすぎた地点にさしかかるや、何らの合図をすることなく、突如として、右折し、右の切れ目から時速約三十キロの速度で次のグリーンベルトの南端に左後車輪を乗りあげながら、急角度で伊藤運転の貨物自動車の前面六・五メートルの低速路上に割りこんだ。伊藤は、右小型乗用車が常軌を逸した無謀な仕方で右折して自車の直前に割りこんできたので、その瞬間自車がこれに追突したと感じたほどであったが、とっさの間にハンドルを右に切ったため、追突は免れ、右小型乗用車はそのまま低速路を北へ走り去った。しかし、伊藤運転の貨物自動車は、ハンドルを右に切ったことにより、その車体の一部を右側高速路上にはみ出し、その結果、同高速路を後方から進行してきた佐藤運転の小型乗用車の左側面に接触し、この乗用車は、伊藤運転の貨物自動車の側面で右寄りに押され、その車体の一部を中央ラインをこえた反対側の高速路上にはみ出したため、折柄、この高速路を反対方向から進行してきた被控訴人運転の乗用車と正面衝突するに至った。以上の事実を認めることができる≪証拠判断省略≫。
上記のとおりで、伊藤がハンドルを右に切ったのは、緩行路から自車の前面に移行してきた前記小型自動車に追突することを避けるためであったことは明らかであるが、右認定の状況のもとで、伊藤のとった右措置が真に止むをえないものであったか、それとも他にとるべき有効適切な方法があったかどうかがさらに問題となる。
被控訴人は、この点につき「小型乗用車は一般に緩行路を進行すべきでないから、低速路上の自動車運転者としては、緩行路上の小型乗用車はやがて低速路に移行するであろうことを予想できるはずであり、とくに、本件事故現場はグリーンベルトの切れ目にあたっていたから、同所から低速路に右折移行するであろうことは十分予想できたはずである。したがって、伊藤は緩行路上の小型自動車に注意を払い、その動向いかんにより急停車等の措置によって接触を避けうるよう、速度を加減するなどして進行すべき注意義務があったにかかわらず、これをつくさなかったのであるから、伊藤にかかような注意義務を怠った過失がある。」旨主張する。
本件事故現場附近の第二京浜国道には事故当時車馬通行区分があり、その区分によると、小型乗用車は原則として緩行路を通行すべきでなかったことは、さきに述べたところから明らかである。したがって、前記小型乗用車の右後方の低速路を進行していた伊藤としては、右乗用車がやがて低速路に移行するかもしれないということは予想できないことではなかったと思われる。しかしながら、前記乙第六号証の第一図面によると、本件事故現場の近くには、国道から左側(西側)に通じるいくつもの道路があったことが認められるから、車馬通行区分のある本件国道においても、国道からそれて左折進行しようとする場合には、小型乗用車といえども、一時的に緩行路上の進行を続けたうえ、そのまま左側通路に左折して国道をそれることもありうるところであり、とくに事故現場附近では、緩行路と低速路とはグリーンベルトをもって境としていたのであるから、一層このようなことがあったものと推察される。してみると、緩行路上の前記小型乗用車はやがて低速路上に移行する見こみが大であって、低速路上の自動車運転者はこのことを当然予想すべきであったとまでいうことは、いいすぎといわなければならない。さらにまた、低速路上の自動車運転者は緩行路上の小型乗用車の低速路への移行を予想してその動向に注意を払うべきであるといっても、本件国道のような車馬通行区分帯のある交通頻繁な路上で、そのような動向をたえず注意し、低速路への移行を警戒しつつ、減速運転などの措置をとって進行すべきことを求めるのは、必ずしも適切なことではない。もっとも、本件事故現場の左側では、グリーンベルトが大きな切れ目をみせていたことはさきに述べたとおりであるが、≪証拠省略≫によると、本件事故現場からその手前の前記交差点までの間だけでも、グリーンベルトの切れ目は何箇所もあったことおよび事故現場の国道は東西に通じる巾員の狭い道路と交差はしているが、同所に信号機はなく、国道を進行する車輌が通常の交差点におけるように一時停止したり、左右の交通を注視して減速運転をしたりしなければならないような状況にはなかったことがうかがわれるから、事故現場左側の前記切れ目をとくに重視して論ずることは相当ではない。
本件では、緩行路上の前記小型乗用車が事故現場のグリーンベルトの切れ目の始まり(進行方向からみて)で右折したのではなく、この切れ目にそって中ば通過したのち、無合図で急角度の右折をして時速約三十キロで伊藤運転の貨物自動車の直前に移行したのである。この無謀な移行の仕方は伊藤の予期しないできごとであり、伊藤には、このような乗用車の動向をいち早く察知して低速路への移行に対処するため、減速徐行等の措置にでる時間的余裕はなかったものと認めるのが相当である。伊藤は本件事故現場に到達する前、自車の後方右側高速路を佐藤運転の乗用車が進行してくることも気づいていたが、緩行路から移行してきた前記小型乗用車との追突の回避のみを念頭において右にハンドルを切ったこと、その際伊藤は必ずしも有効的確な急停車の措置を講じなかったことは、≪証拠省略≫からうかがうことができる。しかし、緩行路から右折してきた右乗用車は、低速路に割りこむや、その向きを北方にかえて低速路上を進行したわけであって、この間ある程度の減速があったとみるべきであるから、この点を考慮すると、伊藤がもし有効的確な急制動の措置をとったとしても、それだけで果して追突を免れえたかどうかは極めて疑問であるとしなければならない(乙第五号証の鑑定報告書の記載を検討してもそのようにいうことができる。)。右乗用車が低速路に割りこんだ瞬間、伊藤がこれに追突したと感じたほどの状況からすると、同人がとっさの間に自車のハンドルを並行車輌のない高速路(当時高速路に並行車輌のなかったことは弁論の全趣旨から明らかである。)の方向に向けて切ったのは、追突事故を避けようとする人間自然の本能によるものであり、高速路を後方から進行してきた佐藤運転の乗用車との接触を考慮しなかったとしても、これをもって伊藤を責めることは酷に失するというべきである。
上記に説示したとおりで、ほかに別段の事情は認められないから、本件衝突事故は、結局、右折表示もせず、低速路上の車輌の通過もまたず、突如として急角度で低速路に右折移行した前記小型乗用車運転者の故意または過失に基因して生じたものとみるべきであり、伊藤には、右事故発生につき自動車運転上の過失はなかったものと認めるのが相当である。そして、≪証拠省略≫をあわせ考えると、本件事故当時、控訴人は自己のために本件貨物自動車を運行の用に供するものとして(控訴人がこのような運行供用者であったことは当事者間に争いがない。)、伊藤は本件貨物自動車の運転者として、いずれも自動車の運行に関して通常要求される注意を払っていたものであること、および当時右貨物自動車には構造上の欠陥または機能の障害などはなかったことがそれぞれうかがわれるのであるから、伊藤が前記小型乗用車の緩行路から低速路への移行の際にとった措置を目して自動車運転上の注意を怠ったものとはしがたい以上、控訴人は、本件事故につき、自動車損害賠償法および民法に定める損害賠償の義務を負わないものといわなければならない。
してみると、控訴人に右損害賠償義務があるとする被控訴人の請求は、他の点につき判断するまでもなく、理由がないとすべきであり、これと結論を異にする原判決は不当である。
よって、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条にしたがい、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 新村義広 裁判官 中田秀憲 高橋正憲)